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「アリス」

わが男声コーラス、メールクワイヤAOBAの機関紙「われもこう」発行はひとえにバリトンの片岡眞一氏の御功績による。
今回、寄稿させて頂いた文章を掲載します。

「アリス」
宗 孝夫
これは不思議の国の「アリス」ではなく、「威風堂々」「愛の挨拶」等で有名な作曲家エドワルド・エルガーの妻の名前。
旧姓アリス・ロバーツ。エルガーより8歳年上だった。
イギリスのウースターと言う街(日本ではソースでしか殆ど知られていない)から、1889年二人の恋愛結婚が発端で、世界中の音楽愛好家を惹きつける曲を誕生させた。
この結びつきは様々な理由から、周囲は大反対だったようだ。
経済力の無さが大抵の場合だから、あとになってはどうなるかは関係ない。世の中とはよくこうしたものだ。
その後、アリスの内助の功で、彼が大作曲家に成長していく話はよく知られている。
かならずしも愛妻家が世に出ていくとは限らないし、どちらかと云えば反対のケースが、芸術家にはよく見られるがどうだろう。
と、これが前置き。
今年7月、私は愛妻いづみを突然喪った。北海道も北の果ての山。
稚内から離れた海上に浮かぶ、利尻山の登頂後下山中に、脳内出血を起こしての死だった。
妻の遺骨を抱えて帰宅後、親しい友からMailが届いた。中身はどうかアリスを亡くしたエルガーのようにならないで欲しいと言う内容だった。

1920年、彼が63歳の時。アリスは亡くなります。
溢れるようなインスピレーションと、旺盛な作曲意欲を整えてくれたのは、全てアリスだった。

社会的名誉と地位も人生の最高潮に達していた。
1919年には私の大好きなチェロ協奏曲を作曲。これをピークにして、妻の死以降、バッタリと創作活動が止まってしまった。
ケン・ラッセルの記録映画の1番印象的な場面を切なく思い出す…

私の人生は、誰方にも比肩できるような、立派なものではないのは承知しています。
さらに愛妻いづみは内助の功型ではなく、共に演奏して世界中を飛び回るのが大好きでしたし、私のお尻を叩いて世に出すタイプでもありませんでした。
30年間、ヨーロッパの目ぼしい国々や、あらゆる都市から地方まで回って演奏もしていますが、エルガーの生地「ブロード・ヒース」には行っていないのが心残りではある。

…さて、友人やお弟子さん、そして多くの方々にご心配をおかけしている身の私。
ある意味でのエルガー状態を脱しつつ、すべて一人でやらなければならない、生まれて初めて遭遇する危機と、さらに自分に課せられたものを自力で切り抜けて、何とかクリスマスを迎えることができそうです。

アリスの死から13年後、1934年。76歳でエルガーは癌で亡くなります。

最近の研究で分かった事ですが、亡くなる数年前から、40歳も歳下のヴァイオリニストと恋愛関係にあり、第2番で終結した交響曲の第3番を書き始めてもいました。
だからと言って、アリスへの純愛を貫いたことは間違いないのですが、この人生最後の恋愛も悪くない。と私は思っています。
出来たら…それも。
どう思われるかは皆さんの判断にお任せいたします。
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by cantare-so | 2016-12-01 13:45
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