2009年 05月 27日 ( 1 )

五月の風に吹かれて

 五月の風に吹かれて、三国峠を車で越えた。今年に入って、ほぼ月二回のくらいのペースで群馬と新潟の県境を往復している。
 スキーのシーズンも終わり、この季節の楽しみは山菜である。
帰りの車の荷室には、自分で採ったタラの芽やこしあぶら、買い求めた木の芽・山独活等がダンボール箱に山盛りになっている。
 往きの夕方、峠のトンネルにさしかかる手前で、ラヴェルのボレロがちょうど終わるようにと、猿ヶ京を過ぎた辺りからCDをセットするのが習慣になっている。アンセルメ・クリュイタンス・ジョルダン・デュトワ・小沢等、その時の気分でオーケストラを楽しんでいる。
 
 三国にかぎらず、峠にはいつも風が吹き抜けている。そして、そのことをいつも感じている。
若い時から続けてきた山登りで、あえいで登り詰めた峠では、いつも風が身体を透明にさせてくれるような、気分を味あわせてくれたように思う。
 風越とか風張なんて名前の峠もあり、営みが懐かしく、恋しく、また記憶に浮かび上がる何人かを思い、そして、故人になlったひとが鮮明になってしまう。

 さて、先日私が旅してきた、初夏、緑濃い朝鮮半島。かつては禿山ばかりと揶揄されていたが、今では本当に連なる森を成長させていた。
 ちょうど田植えを迎えた農村も、機械化が進み、この30年余りのうちに様変わりしたのだと感じさせてくれた。誤解を恐れずに極端なことを言うのだが、かつて本や写真で得た、七十年代の電気の通わない丸いわら屋根の集落、近代まで律令を引き摺っていたかのような、生産性の低い農村。当然のことだが、そんな私の無知な認識と時代錯誤も、笑顔で農作業をする人々の前で、往き摺りのかすめる虫のようにちっぽけだ。
 
 六十数年前、私の母は、父の待つ満州・奉天に向かい、希望と不安の花嫁として、この半島を列車に揺られて行った。
 そして終戦の次の年、六歳と三歳になる私の姉たちの手を握り締め、臨月の身にリュックを背負い、無蓋の貨物車の中で、釜山に向け幾夜も過ごしたのだ。
 しかし母は私に、この辛苦の旅を語ることは殆ど無かった。
 
 点々と遠望する薄紫の藤の花房、芳香を放つ満開のアカシヤの白い花。
その五月の風の中に、突然立ち上がるように、私の古い記憶が若かった母の姿を映し出した。
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 村はずれの大きな楡の木の古木がつくる、歴史を語りかけるような木陰と葉のざわめき。
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 六百年前、明国より持ち帰った変種の八重つつじが咲く、かつての両班の歴史を伝える君子村に辿り着き、木目の浮き立つ縁側の柱に凭れながら、又しても、私はとりとめもない思いばかりを繰り返していた。
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by cantare-so | 2009-05-27 19:31