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カテゴリ:和食( 16 )

パリの手打ち蕎麦

暮れのパリは、シャンゼリゼーの雑踏を除外すれば、ほとんど静かに散策出来る。サンジェルマン・デュプレの宿から、マスネーが住んでいた家を通り過ごしてリュクサンブール公園に足を踏み入れると、何だか自分が現在パリに住んでいるような錯覚に陥る。

しばしの散策のあとはやっぱりカフェでの一杯のグラス・ワイン。ドゥ・マゴでもフロールでも構わない。サンセールにしようか、ボルドーにしようか、いづれも冷えた身体と心を温めてくれる。

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さてフロールの路地を入った左側に「円」がある。オンワード樫山の出資らしいが、パリで唯一、勿論ヨーロッパでもここしかない手打ち蕎麦屋がある。24、25日のクリスマスと月曜日は休んでいるが、なかなかの繁盛ぶりだ。客は日本人だけではなくフランス人も多い、それも手馴れた箸さばきで蕎麦をたぐっている。

フランスでもブリュターニュは蕎麦の名産地で、クレープはよく食べられているが、そば切りは習慣にない。最近はワカメが健康食品で店に並んでいるが、ひょっとしてそば切りもブームになるかも知れない。やや柔らかめだが、こしもあり風味は悪くはない、つけ汁も及第点、これで太い粗引き田舎蕎麦があれば文句なしだ。もっと旨い蕎麦になる問題は水かも知れない。と思いつつまた来るだろうと独り言を呟いた。
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by cantare-so | 2007-01-04 11:02 | 和食

会津通い



11月も最後の週を迎え、今年も会津に出かけることにした。昨年、コンサート・ツアーで会場にした酒蔵ホールで、お世話になった末廣酒造の会長の訃報から、はや一年が経ってしまい、気にかかっていた。蔵元に寄り、ほんの少しだけの気持ちを伝えて、暗がりの多い会津の町を歩いた。

冷たい雨が降りしきり、灯りも頼りなくゆらめく、この寂しげな町が私は好きだ。会津小汁、鰊の山椒漬け、新蕎麦の手打ちを二軒はしごするあたりになると、自分の心がだんだん柔らかくなっていくのを感じはじめる。応対も下手だし、言葉もかたく、頑固そうな気風がまた良いのである。

翌日も雨、芦ノ牧温泉の手前に新しく開店した蕎麦屋に立ち寄り、いつもの会津西街道を山王峠に向かう。春の桜の頃、山菜の初夏、紅葉から晩秋、そして真っ白な雪に埋もれる季節、いつ来ても本当にほっとするのはこの会津西街道だ。

お目当てのきのこの売店は、もうほとんどが店を閉じている。せめて水煮の瓶詰めか、生の塩漬けがないかと捜すと一軒、もだしの塩漬け、ほうき茸とハタケシメジの瓶詰めを申し訳なさげに売っていた。

七輪の火に当たりながら、店番のおばさんとしばし立ち話をしてから、車は本降りの雨の中、栃木県塩原へ向かう。途中、横川の大辛大根の店で、勿論大辛蕎麦をたぐり帰途についた。

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まだまだ会津通いは続きそうな気がする。
写真は帰宅後の食膳、もだし、クリタケ、ひらたけ、ほうきたけ、が入ったきのこ汁。
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by cantare-so | 2006-12-08 11:07 | 和食

茸の季節

夏の暑さが未だ厳しい九月の二週目の日曜日、今年は茸の生育がどうかと、山仲間と連れ立って山に入った。今年は春の山菜が不作だったので。茸も不作かも知れないと話しながら、噴出す汗と薮蚊に悩まされての偵察行だ。

山の恵の少ない年は、これから頻繁に熊や猪やその他の動物達が里に現れる事だろう。
茸の影の薄い中、それでもヌメリイグチ一本収穫。秋口の茸だが、傘の下にある特徴的なスポンジ状の部分を取り除き、早速讃岐うどんに入れて、そのぬめりと歯ざわりを楽しんだ。
それから、三週目の十月一週目の日曜日ふたたび山に、狙いはタマゴタケ。奇妙な形態と少し派手な赤色だが、パスタに入れると最高だ。
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しかしこの日はプロの茸採りに僅かの時間差で、後塵をはいした結果、うらべにほていシメジ5本。

帰宅後、バターで炒め、少量の醤油で味付けをしたいつもの定番メニュー。一年ぶりの苦味と風味に思わず顔がほころんでしまった。

これから茸採りいよいよ本番だと言うのに、私はヨーロッパ・ツアーと帰国後の仕事で、十月最後の週にしか出かけられない。どうぞ今年は遅い秋の訪れで、茸も遅く出てくれることを心から願っているのだが。  
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by cantare-so | 2006-10-02 11:10 | 和食

鳥海山麓の蕎麦と寿司

今週末、数年ぶりに山形県の酒田市に出かける。前回は妻と鳥海山登山が目的だったが、今回は酒田出身のヴァイオリニスト石川氏とのコンサートに関わってのことだ。お互いに音楽家を目指している途上での出会いから、すでに40年以上を経て、現在はドイツで活躍している彼との来週に迫った演奏会も、私には幸せな邂逅に思える。

さて話しを食べ物の本題に戻すが、まずは山の話からで遠周り、実は近道だが、鳥海山に登頂する最短ルートは、湯の台から一気に雪渓を登り、駆け下ってくる一日コースだ。前回の私達は明け方、東京を車で出発、酒田市内の寿司の名店鈴政でお昼、温泉が湧く宿泊予定の湯の台に向かった。

その途中で山麓の一軒家手打ち蕎麦鳳来に立ち寄った。お腹がいっぱいだったが、私一人だけでもと車に妻を待たせ、店の戸を開けてざるそばを注文。待つ事暫し素朴だが筋の良い手打ち蕎麦に、焼いた根曲がり竹が添えられて出て来た。また来たいと思わせる本物の旨さに、私の顔は崩れっぱなしだったと妻にひやかされた。

翌日は頂上まで駆け登り、またもや寿司の名店こい勢を、馬に人参とばかり目的にして雪渓を駆け下った。元気者の妻が張り切りすぎて、好物の寿司で気持ち悪くなったという、オマケとオチがついた事を今でも笑い話にすることがある。

今回は、庄内空港から演奏会場の遊佐町までの道筋に、美味しい店がないかと下調べをしているが、やはり鳳来のことが頭に何度も浮んできてしまう。
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by cantare-so | 2006-07-21 11:15 | 和食

長命寺の桜餅

歌舞伎座、六月大歌舞伎の昼の部で、真山青果作、江戸絵両国八景「荒川の佐吉」を観劇した。

やくざの世界に憧れ三下になった佐吉(仁左衛門)は、親分の娘(時蔵)が産んだ盲目の男の子の赤子を、押し付けられる羽目になり、友達の大工辰五郎(染五郎)と男手で育てる。

落ち目になり殺されてしまった親分(芦燕)の仇を討ち、「おとっつぁん」と呼ばれ、可愛くまた賢く育った卯之吉を親元に帰し、旅立っていく。惚れ惚れとする仁左衛門の芝居に、観客からは鼻をすする音。

最後の旅立ちの場面は、桜散る墨田川沿いの長命寺。

そんな芝居を見ながら急に好物の桜餅が食べたくなった。三枚の塩漬けの桜の葉に包まれたあの桜餅。今年四月も花川戸から長命寺まで歩き、短気な私にしては考えられないことに、三十分も列に並んで家に持ち帰ったのを思い出した。

それにしても現在の大川(隅田川)の風景は、何と殺伐としてしていることか。かの日本橋の上に首都高速が架けられたのは随分と昔の話、今から景観を取り戻したいと、少し前に話題になっていたが、春のうららの隅田川も無残だ。特に高速道路わきの某大手有名ビール会社建物の巨大なオブジェは、金の亡者の巨大な排泄物に見えてしまう。

つべこべ言わず、我われ庶民は苦いお茶と桜餅を楽しむのが、まだ残されている事に感謝致しましょう。
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by cantare-so | 2006-06-24 11:17 | 和食

なんたって、蛤が食べたい

「桑名の殿さんしぐれで茶漬け」「その手は桑名の焼きはまぐり」と、蛤と言えばこんな言葉がすぐ口をついて出て来るほど有名な、三重県桑名(江戸時代は七里の渡しとか云われた)は木曽川、長良川、揖斐川の河口にある。

現在も伊勢湾で採れる蛤は最高級の代物だが、なかなか私達の口に入ることは少ない。細かく言えば、日本のどこそこの物の方が美味だとか、中国産をしばらく放してあるとか、貝の縞で区別するとか、種類が多種あるからどうだとか、こだわり始めると蛤ひとつで切が無くなってしまう。

まあ、この辺の所はひとまず抑えて、最初に「焼きはま」でも楽しむ事にしよう。次は「潮汁」、「煮はま」の握り寿司を二貫ほどで、白和えなんか出たら、あまりの幸せでもうどうでも良い気持ちになる。日本酒は何が美味しいのかは、意地を張らず素直にお店のオススメで結構。

ひとつだけ薀蓄を付け加えると、昔の嫁入り道具のひとつに(いとやんごとなき家柄のだが)貝合わせが貝桶に三百六十個入っていて、他の組み合わせでは絶対に合わないところから、夫婦和合の縁起物だと聞いたことを思い出した。だからどうしたと云うわけじゃないが、それより千葉駅の駅弁にはまぐり弁当があるらしい。

何たって食べたことがないので、気になって仕方がない。
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by cantare-so | 2006-04-30 11:20 | 和食

菜の花・花菜

一面に咲く黄色の菜の花畑は、人の心を明るく幸せな気分にさせてくれる。さらに薄紅色の桜の花が、その視線の上に咲きそろった日本の風景は最高だ。

五月のフランスでどこまでも続く幅広い黄色い帯のようなColsa(菜の花)畑、その見事さに何度もフランス人に、花の名前を聞き返したことも、強く思い出に残っている。
この季節、我が家の食卓に花菜が出ることが多い。

約40年くらい前に、伏見・桃山あたりで寒咲きの菜種のつぼみを食用にしたのが、始まりだとされているが、何とも春を感じさせてくれる野菜だ。

塩をひとつまみ入れて軽く茹でた花菜は、本当にどんな料理にも合う。そのままお醤油をかけただけ、辛子和えに、御飯に混ぜて、サラダに、パスタに、天ぷらでも、と凝らずにちょっと思いつくだけでも楽しくなる。

やっぱり春は少し苦味やアクを感じる物が旨い。

先日も、年配の、いや熟年の方々と春の食べ物が話題にのぼり、ご夫婦で仲良く指先を茶色にして土筆のはかまをとり、玉子とじや味噌汁に、蕗のとうの焼き味噌や天ぷらなど、多いに盛り上がり楽しいひと時を過ごした。

しかし、そんなささやかな春の楽しみも、収穫・採取する場所がさらに無くなってしまい、私達をとりまく環境は窮屈至極。発展や開発と言った隙間無く続けられる、金儲けばかりの社会は本当に幸せなのだろうか。

春野菜や野草のほろ苦味は、それを噛み締める良い機会なのかも知れない。
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by cantare-so | 2006-04-07 11:22 | 和食

ふたつの蕎麦

蕎麦は美味いと不味いのふたつしかないと思っている。

勿論、他の食べ物でも同じことだが、特に蕎麦はシンプルなものだけに強く感じるのかも知れない。

どんなに店構えが立派でも、こだわりや薀蓄、あるいは能書きから枕詞の類が充実していても、やはり不味い蕎麦は腹が立つほど不味い。お金を払って食べたのだから多少の我儘を書かせていただく。

昨日、立ち寄った安曇野の「御法田」の蕎麦は本当にいけない。すべての悪い要素が揃っている。さらに対応までが雑では、この店の前を通る度に嫌な過去を思い出し、苦痛である。

かたや、一昨日立ち寄った穂高有明の「栄作」は田圃に車を落としそうな細い道の先、赤松に囲まれた辺鄙な場所にありながら、実に謙虚さを持って蕎麦を大切に打っているのが、一口すすればすぐに伝わってきた。

対応も同じものが重なら無いようにと親切に説明して、客の食べられる分量まで考慮してくれる。未だ味わっていない、名物のかじかのから揚げと蕎麦を食べに、再度車を走らせたいと思わせてくれた。これこそ、ものを食べることの原点、それを提供する人となりを感じること、味わう出会いの幸せに包まれたことを何度も思い出すことに他ならない。
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by cantare-so | 2006-03-21 11:23 | 和食

白子の天ぷら

子供の頃や若い時分に嫌いだったものが、大人や或る年齢に達すると、嗜好が変化して、好物になる食べ物が多くあるようだ。

私にとって、鱈の白子もそのひとつで、この季節はどうしても食べたくなる。ポン酢でいただくのが一般的だが、どうもわたしは酸っぱい物が苦手だ。私の亡くなった父は酢の物が大好物で、海鼠や牡蠣が食膳に頻繁に出た。

「おまえはまだ子供だなあ」と冷やかされるので、一気に飲み込んで噎せたりした苦痛が忘れられない。やがてある程度の年齢に達し、何歳かはあえてはっきりさせないが、独活の酢味噌和えなどを好むようになって来た。

しかし鱈の白子(雲子)は柚子釜に限ると思っていた。
だがこの所、中野の野方に数年前に出来た蕎麦屋、「かわむら」で出される日高産真鱈の白子の天ぷらには、すっかり参ってしまっている。本当に旨い。

当然、二八の細打ちと粗引きの田舎も丁寧な心配りだ。

さて、この歳で嗜好がやっと大人になったとは、とても恥ずかしくて云えないが、この白子の天ぷらの味は、子供の頃や若い時分では判らなかったことは確かだろう。
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by cantare-so | 2006-03-01 11:27 | 和食

ウラベニホテイシメジ

今年も茸好きにはたまらない季節がやって来た。

ウラベニホテイシメジは、年によってはまったく口に入らないこともある。去年はイグチ一本とおおぶりな二本を、東京近郊の山でやっと収穫した。

やはり山に入るタイミング次第なのだが、今年はテレビ等で、空港や首相官邸まで異常に発生したと、毒キノコのニュースを報道している。山はどうかと言うと、心躍るほどの大量な生えかただ。とても短く限られた期間だけだが、二週続けて山に出かけて、五十本あまりの大収穫だ。この茸は少しの苦味と、しゃきしゃきとした歯ざわりがたまらない。

松茸にもひけをとらない大きさは魅力のひとつで、特に白いくきの部分の食感が良い。茄子と油炒めが相性だが、バターを使った茸だけのほうが私は好きだ。

よく毒キノコで中毒したり、下手をすると命を落とす事も少なくないと聞くのだが、、基本は知らないものや知っているものでも、少しかたちや色が違い、自信がなくおかしいと思うものには、手を出さないことだ。

さて、来年も期間限定の味覚に出会えるようにと念じつつ、ワインの栓を抜く事にしよう!
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by cantare-so | 2005-10-14 11:30 | 和食