<   2006年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ふたつの蕎麦

蕎麦は美味いと不味いのふたつしかないと思っている。

勿論、他の食べ物でも同じことだが、特に蕎麦はシンプルなものだけに強く感じるのかも知れない。

どんなに店構えが立派でも、こだわりや薀蓄、あるいは能書きから枕詞の類が充実していても、やはり不味い蕎麦は腹が立つほど不味い。お金を払って食べたのだから多少の我儘を書かせていただく。

昨日、立ち寄った安曇野の「御法田」の蕎麦は本当にいけない。すべての悪い要素が揃っている。さらに対応までが雑では、この店の前を通る度に嫌な過去を思い出し、苦痛である。

かたや、一昨日立ち寄った穂高有明の「栄作」は田圃に車を落としそうな細い道の先、赤松に囲まれた辺鄙な場所にありながら、実に謙虚さを持って蕎麦を大切に打っているのが、一口すすればすぐに伝わってきた。

対応も同じものが重なら無いようにと親切に説明して、客の食べられる分量まで考慮してくれる。未だ味わっていない、名物のかじかのから揚げと蕎麦を食べに、再度車を走らせたいと思わせてくれた。これこそ、ものを食べることの原点、それを提供する人となりを感じること、味わう出会いの幸せに包まれたことを何度も思い出すことに他ならない。
[PR]
by cantare-so | 2006-03-21 11:23 | 和食

タジン

子供の頃や若い時分に、飛び上がるほど好物だったビーフ・シチュー。或る年齢からすっかり苦手になってしまった。勿論、タン・シチューや鶏肉の入ったクリーム・シチューの類も、この頃は敬遠しがちだ。

今年のはじめに旅行したエジプトで、懐かしいアラビア風煮込み料理「タジン」にお目にかかるというか、仕方なくお目に、いや、お口に触れる機会にめぐり合わされた。

だいぶ前になるが、アフリカの西の果てマグレブのモロッコに旅して、毎日出されたご馳走。ブタを除く、羊、牛肉、鶏肉等、あらゆるものを煮込んだ、最後には大きな巣にいた、「コウノトリ」・タジンが夢に現れるほど堪能した、あの日替わらない料理。

大きな土鍋の独特な形の蓋、江戸時代の浪人が被っていた編み笠のような、その姿がうやうやしく運ばれてくると、思わず胃液が口に溢れそうになったほどだ。とうとう音を上げて、私はアラビアパンと胡瓜とトマトだけの食生活、なんともヘルシーな毎日を過ごしたことを思い出す。

憎っくきその名も「タジン」。

しかしエジプトで出されたものは、少し趣きが、いやほとんど同じだが、かつて経験したそれほどの迫力溢れる量と味ではなかった。暫し躊躇の後、私も何故か懐かしい感興に動かされ匙を運んだ。

う~ん。あなたは間違う事なき「タジン」様。
[PR]
by cantare-so | 2006-03-09 11:26 | エスニック

白子の天ぷら

子供の頃や若い時分に嫌いだったものが、大人や或る年齢に達すると、嗜好が変化して、好物になる食べ物が多くあるようだ。

私にとって、鱈の白子もそのひとつで、この季節はどうしても食べたくなる。ポン酢でいただくのが一般的だが、どうもわたしは酸っぱい物が苦手だ。私の亡くなった父は酢の物が大好物で、海鼠や牡蠣が食膳に頻繁に出た。

「おまえはまだ子供だなあ」と冷やかされるので、一気に飲み込んで噎せたりした苦痛が忘れられない。やがてある程度の年齢に達し、何歳かはあえてはっきりさせないが、独活の酢味噌和えなどを好むようになって来た。

しかし鱈の白子(雲子)は柚子釜に限ると思っていた。
だがこの所、中野の野方に数年前に出来た蕎麦屋、「かわむら」で出される日高産真鱈の白子の天ぷらには、すっかり参ってしまっている。本当に旨い。

当然、二八の細打ちと粗引きの田舎も丁寧な心配りだ。

さて、この歳で嗜好がやっと大人になったとは、とても恥ずかしくて云えないが、この白子の天ぷらの味は、子供の頃や若い時分では判らなかったことは確かだろう。
[PR]
by cantare-so | 2006-03-01 11:27 | 和食